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2006年 08月 15日 ( 1 )

究極のサディスト「小泉純一郎」靖国参拝!?

終戦記念日の本日8月15日、小泉総理は靖国参拝した。

総理大臣による「靖国参拝」の是非は後述するとして、今回の参拝は小泉純一郎のサディストとしての本質が如実に表現されことになる。5年前の総裁選で「終戦記念日に絶対靖国に参拝する」と宣言した小泉純一郎。実質的に総理大臣を決める与党第一党自民党の総裁選。世界広といえど、国家指導者決める選挙の公約に、宗教施設の参拝を掲げる例を私は知らない。例えばアメリカ大統領選において、「第二次世界大戦の終結記念日にはアーリントン墓地に必ず献花する。」と候補者が公約することを思い浮かべてみると良くわかる。恐らく有権者は「こいつは一体何が言いたいんだ」と「ぽか~ん」とするだけだろう。

近頃は、「靖国参拝」は心の問題」であることを強調する小泉純一郎。しかし最初に政治テーマに「靖国参拝」を遡上に載せたのは当の本人である。総裁選で公約に掲げた小泉の意図は、3回目の総裁選出馬で、しかも当初は故橋本氏絶対優位と見られていた中で、恐らく最後の挑戦になると感じていた小泉純一郎は、なりふりかまわず総裁選を有利に運ぶためやれることはすべてやるつもりで(例えば政敵田中角栄の長女真紀子に対し「外務大臣任命」の手形を振り出してまで総裁選の応援を依頼しことでもわかる)、当時「遺族会会長」であった橋本氏の地盤を少しでも揺さぶり票を獲得するため、故橋本氏が総理在職当時、中韓の反対にあい靖国参拝を自重せざるえなかった事情を逆手に取り、「靖国参拝」仕掛けたのが真意である。

もともと総理就任以前小泉は靖国参拝に興味はもっていなかったことは、栗本慎一朗が「終戦記念日の靖国参拝」を小泉に誘い、「めんどくさい」と断られたと語っていることでもわかる。彼にとって「終戦記念日の靖国参拝公約」は、あくまで故橋本氏への権力闘争の一環である。そして大義名分は、いくらでもあとからつけることができる。そして総理就任後最初の終戦記念日は、やはり中韓の批判が強く、「口は一つしかないが、耳は二つある」と言う迷言を吐き、8月13日に前倒し参拝することになる。小泉にとって権力を得るための方便でしかない「8月15日の靖国参拝」。権力を得た後はこれも彼の迷言「公約をやぶることはたいしたことではない」ということになる。私に言わせれば、「小泉の口は一つしかないが、舌は2枚ある」と言うのが真実である。

さて今回の参拝。9月で総理から平議員になる小泉純一郎。普通の政治家の感覚なら、たとえ靖国参拝をするとしても、総理を辞めてから、例えば10月に行われる靖国神社の年中行事「秋の例大祭」で参拝するだろう。これなら年一回靖国に参拝するという自己の意思も貫け、中韓も一国会議員の靖国参拝は問題視してないので、全て丸く収まる。しかしこの常識が通用しないのが「究極のサディスト」小泉純一郎なのである。もはやここまできたら、首脳会談が行われないと言う不自然なアジア外交を危惧する少なからぬ(直近の世論調査では総理の靖国参拝を50%を超える有権者が反対している)国民の声・マスコミ・経済界の要請、それに当然の如く中韓の反対に対する「嫌がらせ」としか思えない行動と言えよう。

「A級戦犯が合祀された靖国神社」への政治家の参拝に対し、中韓も一定の譲歩をしている。本来なら国家権力にかかわる国会議員、特に閣僚の靖国参拝は許容し難いだろうが、中韓は、総理大臣・官房長官・外務大臣にかぎって参拝を控えて欲しいと要請している。しかもこの事は過去の自民党政権との間で口頭合意していたと発言している。この件に関し前外務大臣の町村氏もテレビ朝日の「サンデープロジェクト」で、そのような話があったことを否定していない。

ところで靖国神社の歴史的意義とは何であろうか。私にとってA級戦犯の合祀・分祀問題は取るに足らないと考えている。私はそもそも靖国神社は「ポツダム宣言受託時」に其の歴史的意義を喪失したと思っている。

明治維新以後「富国強兵」の大義名分を掲げ、日清・日露・満州事変・日中戦争・太平洋戦争と領土拡張政策を推し進め、挙句の果てが世界で唯一の被爆国となり、連合軍に「無条件降伏」した日本。戦後日本はこの領土拡張主義からの決別の道を歩んできた。そして「靖国神社」はこの戦争の尖兵としての軍人の精神的支柱の宗教施設として機能してきた。
これはアルカイダが主張する聖戦(ジハード)とあい通じる。本来イスラム教の教えに自爆テロの教えは無く「平和主義」の宗教であるという。しかしアルカイダは自爆テロを実行する尖兵を鼓舞するために「聖戦」と教え込む。太平洋戦争の特攻隊と9.11の自爆テロとどれほどの違いがあるであろう。太平洋戦争時の日本の軍部は、「大東亜共栄圏」という妄想を軍人に教え込み「鬼畜米英」への聖戦に駆り立て、戦況が悪化すると「特攻」と言う自爆攻撃を計画し命じた。その出撃する特攻兵の恐怖を抑えるべく教え込んだのが「軍神」となり靖国で合おうと言う天皇からの「啓示」だった。

無条件降伏のあと、GHQの占領政策は歴史上類を見ない成功例となった。財閥解体・農地解放・男女の普通選挙の施行と、まさに革命的な政策が実行された。平和憲法をアメリカのお仕着せと言う批判もあるが、戦後大半の庶民がこの憲法を追認してきたことは歴史的事実である。お仕着せと言うなら、明治憲法も当時のドイツを手本にしているし、6・3・3の教育制度もイギリスに習い、古代からの歴史的事実として食文化としての稲作も、宗教としての仏教も、文字としての漢字も、さらに現代におけるファションに至るまで元はと言えばすべて諸外国のお仕着せから始まっている。
そのなかで唯一ほとんど手付かずで宗教法人として残されたのが靖国神社であった。私は占領政策の一環として靖国神社を解体し、戦没者を戦闘員・非戦闘員にかかわらず等しく戦争犠牲者として慰霊する国立の施設を設立しておけば、今日の問題は生じていなかったと考えている。

前述したように「靖国神社」の歴史的意義は既に失われている。勿論現在の靖国神社に意義を見出す遺族の存在を否定しようとは、全く思わない。しかしいずれ戦死者を祭るという他の神社にない特殊な機能をもつ靖国神社は、年月の経過にともない遺族の減少していくという事実にあがなうことは出来ず自然に歴史から消え去っていき、歴史的残滓としての施設が存在するのみになることは想像に難くない。
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by tsune2514 | 2006-08-15 07:42 | 政・経コラム
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